September 2019  |  01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督 『バードマン あるいは (無知がもたらす予期せぬ奇跡)』


 「バードマン」という過去の作品による栄光から、レイモンド・カーヴァー原作の劇場公演により再起を期すリーガン。公演初日までの彼をめぐるブロードウェイの劇場の様子がほぼ全編ワンショット長回しと見紛うフィルム。カメラはすれ違う人々をスイッチしながら360度自在なカメラワークで追い続ける。言うまでもなくこのショットは実際にワンショットで撮影されたものでない。リーガンの超能力(?)やバードマンの存在、、また自在な時間の経過の伸縮によってそれが示されている。この形式がこの作品の持つ根本的な主題を明快に印象付けている。
 極度なリアリズム信奉者のマイク、ツイッター時代の元ジャンキーのサム、興行のためにあらゆる虚実の言を使い分けるジェイク、映画嫌いの純粋芸術信仰者のタビサ。あらゆる登場人物にとっての存在とはなにか、真実とは何かの罵詈雑言じみた問いかけのなか、公演は幕を開ける。
 虚実ないまぜという言はこの作品には不釣り合いだ。マイクとサムの行う真実ゲームさながら、その本意も事実も宙づりのまま映画は進行する。あらゆる美しいショットも、感動的なシーケンスもこの緊張感によって鑑賞者にわずかな不信をキープさせる。あるいはフィルムに刻印されたものがすべて真実だとするならば、この映画が提示するその真実はいずれもが盲信できないものである。にもかかわらず、この作品にあらわれる人間たちは滑稽で、シリアスで、目が離せない。それはあたかもどう考えてもフィクションそのものであるスーパーヒーローの苦悩にわたしたちが共鳴するときの、あの宙づりの興奮のようである。
 作品中に何度も繰り返される、リーガンが愛について語る舞台のワンシーン。ここで彼はリアリズム調のセットから(時には滑稽なアクシデントのために)踏み出し、客席に語りかける。その踏み出し方のバリエーションは実に多様で笑ってしまう。最後にタビサが「本物の血を浴びた」として記す「スーパーリアリズム」。いかにもチャチなこの評が、いまだにリアルさを希求するわたしたちに逆説的な釘を刺す。そんなことよりこの妄信と不信にまみれたフィルムが、わたしたちにあたえるスリリングさとは何だろう? 問題は事実ではない。認識でもない。言葉にするのは難しいが、それは不意に飛び立つ鳥にも似ている。

 映画全体に随伴し、躍動感と推進力を与えるドラムが素晴らしい。


原題 : Birdman or The Unexpected Virtue of Ignorance
2014年, DVDにて鑑賞

pagetop