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20190620もうなにもないかもしれない

義務で文章を書くことは最初はつらい。 書き始めると誰かに矯正されるまではひたすらに楽しい。 でもその矯正をしているのが自分だと思うととたんに世界は窮屈でやる気が失せる。 人と関わっているほうがよい。 が、人と関わっているのは疲れる。 明楽和記『PAYGROUND』に行った。ディエゴと、うっちーと。 アイスクリームの作品がみたかったので、やれてよかった。 けど家に帰ってペインティングのステートメントをみると、まるでちがうことをかんがえた。 猫の完全性について書いてあって、 ぼくたちはそのささやかな作品をさがしながら 「宝探しみたいだねー」といって談笑していたのだった。 猫は猫であって、それを転写したところで猫ではない。 猫が鑑賞の対象たるのは作品たるのは、 猫と対等ではないわたしがそこにいるからなのだとわたしは思う。 ひっそりとした魅力をみつけた私のカメラの構え方の主観性。 そのときわたしは遊んでなどいなくて、 遊んでいるときは公園などどうでもよかった。 絵画行為と絵画現象 なんて勝手に言うと怒られそうだが、 楽しい遊びを想像していることと 楽しい遊びのなかに自分がいることは 似て非なることだ。 結果としてわかるのは、私は猫ではなく それは猫ではなく アイスクリームを食べたく そして食べない限りにおいてそれはアイスクリームではなく 少なくとも私にとっては 絵画(だからどうした)なのだった。 甘い匂いが残ったことを肯定的にも否定的にも捉えられるが、 用のない遊具には用がないのでしょうがないのだった。 いい展覧会でした。 そのごばくだんを3杯のんだが爆発はしていない。
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