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リチャード・シェクナー 高橋雄一郎訳『パフォーマンス研究 演劇と文化人類学の出会うところ』 行動と再現

作品の上演はワークショップ=リハーサルの反転である。公演は初日を迎えると歴史の「現実」になる。(中略)パフォーマンスの枠組みとして目に見える部分は、発見、保持の後に再統一された全体として作り上げられていった、完成作品としてこれからはもうあまり変更を加えられることのない「実在」である。しかしこの「実在」の深層部は「もし、あたかも」の世界である。(中略)上演の日が迫ると、ワークショップ=リハーサルの「もし、あたかも」の領域は意図的に視野の外に沈められる。もしパフォーマンスが満足いくものであれば、観客が目にするのは公演の「実在」の部分だけである。
―p.60

ウイニコットが提唱したのは「私」と「私でないもの」の中間にある精神/身体の状態である。この第三の、二重否定によって成立する中間領域はグレゴリー・ベイトソンが「遊びとファンタジーの理論」(bateson 1972)で展開した「遊びの枠組み」によく似ているし、ターナーのリミナリティの概念にも通じるものがある。
―p.63



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